おおた歯科こども歯科のヒストリー

開業への想い

おおた歯科こども歯科の開業は、2015年7/1です。
おおた歯科こども歯科が開業した理由は、「自分が想う歯科医療をしたい」と思ったからです。
「自分が想う歯科医療」とは、「予防治療」と「初期治療」です。
そしてその先にある「普通にご自身の歯で食事を摂ってもらいたい」があります。
一般の人々は、「自分の歯で食事ができて当たり前」だと思っています。
いえ、大切にしていないと1本1本失っていき、ある時お食事が摂れなくなってしまうのです。

開業した2015年当時は、「予防治療」がやっと世間で言われてきた頃でした。

「歯医者」というと「痛くなったら行くところ」「痛くなければ行かなくて良い」と連想される医療機関です。
つまり、内科や外科と同じです。一般の方から見ると、当たり前ですよね。
内科や耳鼻科や整形外科は、何かあって初めて行く医療機関です。

歯は、内科や外科と全く違う点があります。それは「悪くなったら元に戻らない」ということです。
ケガや骨折は、よほどでなければ元に戻ります。
しかし、歯はそうはいきません。むし歯で溶けてしまった歯・治療で削った歯・歯周病で溶けてしまった骨は、どうやっても元に戻らないのです。
そして気付いたときには、ご自身の歯で食事を摂ることができなくなってしまう。それを1から新しい歯科医院を作ることで実現したいと思いました。

さらに、自分自身で性格的に派手なことはできないと分かっていました。
そのため「おおた歯科こども歯科に賛同してくれる方」「太田貴司の考えに賛同してくれる方」を受け入れたいと思っていました。
よって、「地域の方全員を!」とか「守山市の方は全員、おおた歯科こども歯科に来て欲しい」とか大きな野望は持っていませんでした。

開業地を決めるにあたって、「滋賀県の人はとても温かい」「守山市は教育環境がとても良い」と、地元の不動産屋さんから聞きました。
土地を色々探し、最後にたどり着いたのが、現在の開業地です。

いざ開業へ

多くの数えきれない方のご協力があり、開業地が決まった後は、トントン拍子に進んで行きました。
しかし、学ぶことが多い!
今までは歯の治療の勉強だけしていれば良かったです。
しかし開業となると、税理・労務・経営・マーケティング・マネジメントなど全ての知識を入れる必要があります。

そのことを開業を決めた後に気付くのです。
頭が爆発しそうなくらい勉強もしつつ、雑務が常に入ってきます。
さらに、どの機材を買うのか、誰を雇用するのか、開業前にどんな研修をするのか、何時から何時まで?、毎日があっという間に終わりました。

開業1年目

1番の不安は、「患者さんが来てくれるのか?」という点でした。
スタッフへの教育は、当時としてはできることは全てやり、万全の状態でいたつもりでした。
「後は患者さんが来てくれるだけ」というところまで持っていきました。
内覧会も開催し、幸い多くの方がお越しになりました。
来院者さんもただ内覧会を見るだけでなく、実際に予約をされたときにはとても嬉しかったです。
お一人目のご予約を頂いたときは、思わず涙が出てしまいました。

出だしは順調で、ずっと予約は埋まっており「良い感じだ!」と思っていました。

しかし、ある日急に事態は変わります。
ある一人のスタッフが来なくなりました(無断欠勤から、そのまま無言退職になりました)。
そして別のもう一人のスタッフは様子がおかしくなりました。
ここから一生涯向き合うことになるマネジメントの問題が出てきます。

一人は、全く連絡が取れずに退職。
そしてもう一人は、急に反抗的になり、朝の挨拶を無視する・返事をしない・呼んでも来ない・物も持ってきてくれない状態になってしまったのです。
出だし順調の開業で、何が起きたのか全く分かりませんでした。
今まで歯の治療しかしてこなかったので、解決策も分からない。
今思えば、マネジメント力が不足していた太田貴司が原因だったのです。
例えば
・具体的に指示を出さない
・連絡事項を伝えない
・スタッフ一人ひとりと向き合っていない
・かと言って、全体でも発言をしないしすることもできない
といったまとめる能力(=マネジメント力)が“0”だったのです。

当時のことは覚えていないのですが、どうやら自分は人前で話すときに前もってメモを書いてそれを呼んでいたようです。
それくらい人と話すことができなかったのです。

予約が入っているので診療をしたい、でもスタッフが減ったから診療ができない。
次の予約も取れない。先になる。
どうしよう?
残ったスタッフに下手(したて)に出て診療するしかない。
余計に院長としての求心力がなくなる。
残ったスタッフの不満にもつながる。
そんな悪循環が続いていました。

開業して半年は、人生の中で1番辛い時期でした。
立派な歯科医院を作ったのに「おおた歯科こども歯科に行きたくない」「明日は誰も来なくなるんじゃないか」と毎日が悩む日でした。
とても診療どころではない、スタッフが主役の予防治療なんて夢のまた夢だ。
そんな日々が続きました。

さらに追い打ちはずっと続いていました。
来院される患者さんの内容です。
「痛いから来た」
「オープンして暇そうだから来た」
「痛いところだけ治してくれたら良い。次からは元の歯医者に行く」
「試しに来てみた」
この4つの言葉は、開業して10年経っても忘れられない言葉です。
それくらい、太田貴司が目指す患者さんの層とかけ離れた予約内容だったのです。

太田貴司のマネジメント不足からのスタッフの退職と、歯を削ってばかりの毎日。

「開業なんてしなければ良かった」
そう後悔をしていました。

休みの日は一切ありません。
日曜日になったら医院に行き、在庫管理と発注、雑務をこなし、ヘトヘトでした。

やっとの思いで実現した開業。それが音を立てて崩れていくことになります。

一筋の光
スタッフKさんとの出会い

開業して9ヶ月になる頃、Kさんがおおた歯科こども歯科に入社してくれます。
それ以降、10年以上も関係性が続くことになる歯科衛生士Kさんです。
Kさんは、材料屋からの紹介で入社してくれました。
かなり年上の方だったので、自分の求心力がないことが露呈してしまうのが心配でした。
しかし、とてもモチベーションに溢れたスタッフさんで採用を決めました。

このKさんが、二人三脚でおおた歯科こども歯科を引っ張っていってくれることになるのです。
後日談で、Kさんは「最初、おおた歯科こども歯科に来た時“なんだここは!?”と思いました」と教えてくれました。
太田貴司としてはまぁまぁ頑張っていたのですが、全然ダメだったようです。
色々問題点はありましたが、「全ての問題は、院長が原因」と言われるように、太田貴司が原因でした。
自分がいかに至らない点が多いか、Kさんを通じて学びました。
素直に教えてくれることもありましたし、叱咤激励をしてくれることもありました。
Kさんのおかげで、今の太田貴司があります。

太田貴司が想う理想の歯科医院になるにはこれからまだまだ何年もかかることになるのですが、Kさんの入社が大きな変革をもたらしてくれました。

スタッフのことも考えた
歯科医院経営

経営の勉強をしていくに当たり、スタッフのことを考える時期になってきました。
「スタッフのことを考える」と言っても
・目を見て挨拶をする
・感謝を伝える
・怒らない
といった当たり前の待遇だけではなく、具体的な条件の見直しをしました。
その中の1つとして「診療時間の短縮」があります。

今いるスタッフが長く勤務できるように、産休育休を経ても帰ってきやすいように、そして良い人材を確保できるように、診療時間の短縮をしました。

診療時間の短縮は非常に大きな決断です。1番は夕方しか来院できない患者さんを見捨てることになります。
これは非常に辛い決断でした。
夕方の殆どの方は土曜日に来てくれることになったのですが、多くの方の生活リズムを変えてしまうことになる決断でした。

ですが、診療をするにはスタッフがいないと成り立たない。
だからスタッフの確保が大事だと思いました。

「患者さんのために」を貫き通して20:00まで診療をしていたら、逆にスタッフが離反して結局診療ができない状況になってしまう。
「歯を守るためにはスタッフの確保が必要。そのための診療時間の短縮」をしました。

そこから応募者の人数が増え、採用力が上がりました。

再び、マネジメントが
崩壊した2019年

この年、初めて新卒が入社することになります。
念願の新卒です。
「ピカピカの新卒を1から教育して、立派な社会人になってもらいたい。そしておおた歯科こども歯科で活躍して欲しい」と願っての新卒の採用でした。
新卒ならではの素直さで最初は順調でした。
しかし、マネジメントが崩壊するのに1年もかかりませんでした。
ここでも、また太田貴司のマネジメント力の至らなさが露呈してしまうのです。
新卒への対応が全然分からなかった自分のせいで、ピカピカの新卒が見る見るモチベーションを下げていくのです。
本当なら立派な社会人になっておおた歯科こども歯科で働いてくれることになっていたであろう新卒の成長を阻害して、離反させてしまうことになるのです。

ここで別の残った新卒に質問をしました。
「僕のどこを直すと良い?」と。
20歳も年下の新卒に聞くのは勇気が必要でした。
しかし、自分のため・おおた歯科こども歯科のため・これから入社してくれるであろうスタッフさんのために聞きました。
原因としては「患者さんにばかり目が行ってしまっているのではないでしょうか?」「具体的な指示がないのではないでしょうか?」とのことでした。

医療なので、患者さんのことを気にするのは当然です。
しかし、まだまだスタッフのことを見ることができなかったことを20歳も年下のスタッフから教わることになります。
これは天の声でした。

マネジメントにも注力へ

そこからは、よりスタッフの方を向くようにしました。
・定期的な食事会
・一対一の面談
・LINEでよく会話をする
など気にかかることを増やしていきました。

特に喜んでくれたのは、2023年初の社員旅行に行ったディズニーです。
全員が喜んでくれた思い出の社員旅行です。

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太田貴司は基本、一人行動のつもりでした。 しかし、あるスタッフが「院長、一緒に昼ご飯を食べましょう」と誘ってくれたときは涙が出ました。

2023年は、 ディズニーの他にもう一つ 嬉しい出来事がありました。
10年間ずっと 行きたかった 勉強会に、スタッフと参加でき たこと、 そしてそこでさらに評価をされて全国2位の賞を頂いたこと です(157の歯科医院中、2位の銀賞でした)。

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2023年は、過去最高の年でした。 スタッフが一丸となって目標に向かって進む 文化ができました。
今までは全て太田貴司が指示を出して、太田貴司が動くまで物事が進まないということが多々ありました。
しかし 現在では、 スタッフが自ら動いてくれるようになり、 その分 物事が早く進み 患者さまにも喜んでいただけることも 増えてきました。
太田貴司にはもったいないくらいのスタッフも入社してくれるようになり、どんどん 頼るようになってきました。
「 スタッフに頼る」「 スタッフが自走する」「太田貴司が指示を出さなくてもいい」と言った 昔では考えられない嬉しいことが日常で生まれてきています。
それはそのまま 診療にもいい影響を与えてくれました。 以前よりも 診療に集中できるようになり、 診療がスムーズに流れたり、 説明をきちっとできるようになったり、いいサイクルに乗りました。

どんどん理想の歯科医院に

おおた歯科こども歯科ヒストリーの序盤に戻ります。
おおた歯科こども歯科は「予防治療」と「初期治療」をするために開業しました。

それは2021年頃から加速しています。
治療より、予防治療や予防管理の方が増え、太田貴司が歯を削ることが減ってきています。
削っても初期の段階で最小限の治療で留めることができています。
ましてや「神経を取る治療」は、多くても月に5人になっています。
「新しいむし歯の治療」より「再治療」が増え、予防治療や予防管理ができています。
(再治療は一定の確率で起きます。昔の詰め物や銀歯の下は、数年後にむし歯になることがあるからです)

さらに、おおた歯科こども歯科の1番2番を争う目玉の治療「歯周内科」も広まってきています。
「歯周内科」とは、重度の歯周病の方に行う歯周病の治療です。
太田貴司はほぼノータッチなので、スタッフがメインです。
この治療をスタッフが自走で行ってくれるようになりました。

戻ってきてくれる歯科医院に

2024年、ついに「産休からの復帰」が実現します。
産休に入る前から「またおおた歯科こども歯科に戻ってきたい」と言ってくれていたスタッフが本当に戻ってきてくれました。
すでにおおた歯科こども歯科を知っているので、すぐに溶け込み活躍をしてくれています。

本当にありがたいことです。

今後も3名以上が「産休後もおおた歯科こども歯科に戻ってきたい」と言ってくれており、太田貴司としては全員が戻って欲しいと願っています。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
おおた歯科こども歯科への就職にご興味がありましたら、ぜひ「おおた歯科こども歯科の求人LINEアカウント」からご連絡お待ちしております。

太田貴司

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